吉備真備の勉強部屋は、日本の歴史において菅原道真と並ぶ天才と称される吉備真備について、その言い伝えなどをまとめたホームページです。吉備真備については現代に残されている史料が極めてすくないために、その全容をはっきりとまとめることはほぼ不可能と言われていますが、できる限りのことをこのホームページにまとめていきたいと思います。また、当ホームページに掲載している内容につきましては、歴史上明らかにされていないがゆえに不確定な要素も含んでいます。明らかな間違いがございましたらご一報いただけましたら速やかに訂正いたしますので、よろしくお願いします。
吉備真備の母親は楊貴氏の娘であると、奈良県五條市から出土した"楊貴氏墓誌"
に記載されています。
楊貴氏というのは、"ヤギ-シ"と読むのですが、音韻を同じくする八木氏の
ことで、中国(唐)帰りの真備が中国風に八木を楊貴と書いたのではないか、
という説が有力のようです。
では、なぜ、楊貴という字を当てたのか?
この点が大きな疑問点として残っています。諸説あるようですが、その中に、「楊貴妃からとったのではないか?」というものがあります。
確かに、楊貴妃は719年生まれとされていますから、大まかな時代を考えれば、その可能性を探る人もいて不思議はありませんが、実はこれは間違っています。
なぜなら、楊貴妃は生まれたときから楊貴妃だったわけではないからですね。元は玉環という名前です。
正しくは、740年に玄宗皇帝の妃となり、745年に楊太真を名乗って楊貴妃という言葉が生まれますから、真備の母親が亡くなった(あるいは真備が母親を弔ったとされる)739年の時点では楊貴妃という言葉自体なかったことになります。
ではなぜ"楊貴"氏なのか・・・謎です。