吉備真備の勉強部屋は、日本の歴史において菅原道真と並ぶ天才と称される吉備真備について、その言い伝えなどをまとめたホームページです。吉備真備については現代に残されている史料が極めてすくないために、その全容をはっきりとまとめることはほぼ不可能と言われていますが、できる限りのことをこのホームページにまとめていきたいと思います。また、当ホームページに掲載している内容につきましては、歴史上明らかにされていないがゆえに不確定な要素も含んでいます。明らかな間違いがございましたらご一報いただけましたら速やかに訂正いたしますので、よろしくお願いします。
真備2度目の遣唐使の際、唐の賀正の儀式のときに、一同に会した
各国の席次をめぐって、日本側が唐にクレームをつけるというトラブル
がありました。
ことの発端は、新羅の席次が、日本の席次より上席になっているという
ことでした。
当時の席次は東西に分かれていたのですが、、
【東の席】
1席:新羅
2席:イスラム帝国
【西の席】
1席:チベット
2席:日本
ということになっており、新羅が東の第一席であるのに対し、日本は西の第二席だったわけです。このとき、遣唐副使であった大伴宿禰古麻呂は、
「日本は今も昔も新羅から朝貢を受けてきた国であり、その日本が新羅よりも下の席次というのは正義を欠いている。」
として激しく抗議し、結果、新羅の席と日本の席を入れ替えさせました。
こうした事案からも日本がいかに新羅を下に見ていたかがうかがえます。