家柄の不利を跳ねのけ立身出世

吉備真備は吉備地方の豪族の下道氏が父系にあたりますが、
当時の中央政権内にあっては大した身分ではなく、真備の父親である
下道圀勝氏は平城京に上京して警護兵を務めていた程度でした。

しかし、真備は若い頃よりその学問の才能をもって異例の出世を遂げます。

15歳か16歳のころ、当時の大学とよばれる中央の学校に入学します。
この大学に入学できるのは基本的に官位が五位以上の高級貴族の子弟だけと
言われていますから、その中に下級官僚の出である真備が入学できたというのは、
真備が特別に入学を認められたのであろうと考えられています。
(真備の父親の官位は定かではありませんが、7位くらいであったと言われています。)

また、大学を修学し、卒業する時には既に従八位下という官位を与えられていました。
この官位は、身分の高い子弟が与えられる位と比べると劣りますが、
家柄が優先されて官位が贈られる時代に官位を得るというのは、大学在籍中の勉学が
優れていたからだと思われます。

また、大学卒業後間もなく遣唐留学生に選ばれ唐へ渡航します。

唐での生活中、その勤勉ぶりや研究成果に対し、唐でも評価の声があがります。

このように、真備はその出世の過程において、家柄の不利を自らの勤勉さで克服してきた
といえるでしょう。
この部分に真備の偉大さの根本があるように思えます。


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