道鏡との関係

道鏡というのは奈良時代の法相宗の僧侶で、孝謙天皇の寵愛を受けて出世
した時の権力者です。

一般的な通説では、一時は天皇の位を狙うほどに絶大な権力を握っていた
とされ、事実、道鏡は天皇に准じる扱いを受ける法王という位につき、
当時権勢を誇っていました。


が、当然、いくら権力があるといっても天皇家でもない道鏡が天皇の位につくことなど、到底ゆるされるものではありません。

朝廷内には、僧侶である道鏡が政治の中枢に居座っていることに疑念や不満を抱く者も多く、そういった者たちの支持のもと、真備と同じ岡山出身の和気清麻呂が道鏡への皇位継承を阻んだとされています。


実は、吉備真備は、この道鏡の台頭とともに次々と出世の階段を登ってきていました。

真備を左遷した張本人とされる藤原仲麻呂が失脚し、中央政権の実権を握った道鏡は真備を要職に任用するようになり、道鏡が法王に就任すると、真備はついに右大臣に任命されます。

これは藤原仲麻呂の乱からわずかに2年ほどのことで、特に右大臣に任命された年は数カ月おきに要職をステップアップしていき、あからさまともとれる重用ぶりだったといえます。
こうした背景があったからか、吉備真備は、道鏡に頭が上がらなかったのかもしれません。

道鏡が天皇の地位を狙っていた云々という話についても、吉備真備は右大臣という最高の要職にありながら、道鏡の暴走を止めることができなかった、あるいは見て見ぬふりをしていた、そんな評判が定着しています。
おそらく、藤原仲麻呂によって窓際族にさせられていた真備にとって、道鏡はその行いがどうであれ救いの神だったのかもしれません。

このあたりのことは、真実がどうなのか、現代に生きる私たちに知るすべがないのは残念なことですが、本当のところはどうなのでしょうか???


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