吉備真備の勉強部屋は、日本の歴史において菅原道真と並ぶ天才と称される吉備真備について、その言い伝えなどをまとめたホームページです。吉備真備については現代に残されている史料が極めてすくないために、その全容をはっきりとまとめることはほぼ不可能と言われていますが、できる限りのことをこのホームページにまとめていきたいと思います。また、当ホームページに掲載している内容につきましては、歴史上明らかにされていないがゆえに不確定な要素も含んでいます。明らかな間違いがございましたらご一報いただけましたら速やかに訂正いたしますので、よろしくお願いします。
今の時代、私たちは"吉備真備"として記憶していますが、
吉備真備は、生まれたときから吉備という姓を名乗っていた
わけではありません。
別項でも述べているとおり、、吉備真備は下道圀勝の子供として
生まれていますので、当初は下道真備というのが正しい名前で
あり、実際に名乗っていました。
歴史上で真備が登場した史料のいくつかの記録には、吉備真備
ではなく下道真備としてその名が残っています。
ではいつから吉備真備と名乗り始めたのか?
それは、746年、真備が52歳の時からだと言われています(続日本紀)。
もちろん、真備が勝手に苗字を変えたわけではなく、お上より
「吉備姓を名乗ってもよいぞ!」
というお達しが出たからですが、姓を賜る事自体、それはそれは名誉あることでした。
これにはやはり真備のそれまでの活躍が多いに関係していたと考えられます。吉備地方の一地域の豪族にすぎなかった下道という姓から、備前、備中、備後、美作全体を含む吉備という姓へステップアップしたという意味合いが出てきます。