真備の大学改革

唐より帰国した真備は、早速『大学助』という、今でいう大学副学長の
ような職に任命されます。

大学副学長といっても、当時は今のように大学があちこちにあるわけでは
ありませんので、大変重要なポストであったことは間違いありません。
さしずめ、今の日本で考えるならば、東京大学か、京都大学といった
あたりではないかと思われます。

そんな職を授かった真備は、大学の制度改革に取り組みます。

それまで使用されていた教科書に、新たに三史と呼ばれる歴史書を導入しました。三史が具体的にどの書を指すのか、研究者により意見が分かれていますが、『史記』、『漢書』、『後漢書』もしくは『東観漢記』と考えられています。
いずれにしても、要するに、大学における教育の中に、歴史教育を大きな柱として追加したのです。

また、帰国直後ではありませんが、大学における釈奠(せきてん)と呼ばれる孔子を祀る儀式を、より格式のある体裁に整えました。
これには真備が持ち帰った唐礼という典礼書が多いに活用されたと考えられています。

そして、役人の意識改革、再教育にも力を注いだとの記録が残っています。
これは、当時、役人という身分は試験によってではなく、主に家柄などによって職位が決められていたために、大学で勉を修める役人が少なかった状況に対しての改革であったと推測されます。


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