帰国後の真備

二回目の唐渡航より帰国した後、真備は太宰府大弐という職につきます。

同じ遣唐副使として任務を果たした大伴宿禰古麻呂が左大弁という、朝廷内
において最高機関とされる太政官の一つに任命されたのに比べるとあまりにも
格差が大きく、これは藤原仲麻呂らの策略によるものと思われます。

しかし、真備はその太宰府大弐という職についてもなお、築城したり、
新羅征伐の計画を立案したり、唐で発生した安禄山の反乱の対策を練ったりと、
国の存亡を左右するような重大な場面において、極めて重要な職を任されています。

その後中央政界に復帰しさらに出世を続けるところを見ると、やはり並の役人ではなかったことがよくわかります。

この太宰府大弐という職の後は造東大寺長官の職に任命され、政敵ともいえる藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱では鎮圧の指揮を取り、以降、右大臣への出世街道をひた走ることになります。


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