吉備真備の勉強部屋は、日本の歴史において菅原道真と並ぶ天才と称される吉備真備について、その言い伝えなどをまとめたホームページです。吉備真備については現代に残されている史料が極めてすくないために、その全容をはっきりとまとめることはほぼ不可能と言われていますが、できる限りのことをこのホームページにまとめていきたいと思います。また、当ホームページに掲載している内容につきましては、歴史上明らかにされていないがゆえに不確定な要素も含んでいます。明らかな間違いがございましたらご一報いただけましたら速やかに訂正いたしますので、よろしくお願いします。
吉備真備の父親の名前は、下道圀勝といいます。
今から見れば何の変哲もない名前ですが、この圀勝という
文字の"圀"という文字、当時の日本においては非常に珍しい
文字であることがわかっています。
実は、この圀という文字は、かの中国(周)の則天武后が
制定したとされる則天文字なのです。
則天文字の制定が西暦690年頃、この圀という文字が使用された(圀勝の母親の骨壺に彫られた)のが西暦708年ですから、制定後わずか20年足らずで中国の最新の漢字を使用していたことになります(もともとは国勝でした)。
この圀の時は、水戸黄門でおなじみの水戸光圀という名前の中に使用されており、良く出てくるなじみ深い感じですが、日本史上初めて使われたのが、この下道圀勝だったと考えられます。
これはレプリカです(矢掛郷土美術館蔵)。