楊貴氏墓誌で右往左往

吉備真備が亡き母を弔った事を記す楊貴氏墓誌ですが、この墓誌は、
源八という農民が1728年に奈良県五條市で最初に発見しました。

由緒ある墓誌ということで、地元の蓮華寺というお寺に納めたのですが、
その翌年以降、村は大凶作が続きます。

農家にとって豊作・凶作は死活問題です。

村の長老たちはこの凶作の原因は、墓誌を掘り起こしたことにあるのではないかという結論を出し、蓮華寺に納められていた墓誌を元あった場所にまた埋めました。
しかしその後も、あーだ、こーだと議論は続き、掘っては埋め、埋めては掘りの末に、いつの間にか行方不明となってしまったそうです。
確かに、墓誌なんていわれると、気味が悪いと感じるのもやむを得ないかもしれませんね。


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