鑑真の招聘

当時の日本において、唐より最新の文化を吸収することは国策の一つで
あったわけですが、その中でも特に重要視されていたのが、高僧の招聘です。

当時は政治と宗教の結びつきも根強いものがあったために、政治の安定に
宗教の力は欠かせなかったと推測されます。

鑑真は、唐においても名を馳せた高僧であり、日本側にとっても、ぜひ招聘
したい人物であったはずで、そうした事情から、真備2回目の遣唐使には、
鑑真の招聘が任務として課されていました。

しかし、唐側にとっても、鑑真は余人をもって代えがたい人材です。日本側の熱意もむなしく、玄宗皇帝は最後まで鑑真の訪日は許可しませんでした。

が、鑑真は日本に来日します。

なぜ鑑真は日本にくることができたのか、これには諸説ありますが、いずれにしても、遣唐使の面々が唐の政府には内密に事を進め、密かに鑑真を連れ帰ったということになります。

鑑真自身も、それまで数度(5回)にわたり日本へ渡ろうとしては失敗を繰り返しており、遣唐使側の誘いにも容易にのってきたのではないかと思われます。

来日後の鑑真と真備の接点はほとんどありませんが、鑑真招聘に真備の経験が活かされたことだけでは確かといえそうです。


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