吉備真備の勉強部屋は、日本の歴史において菅原道真と並ぶ天才と称される吉備真備について、その言い伝えなどをまとめたホームページです。吉備真備については現代に残されている史料が極めてすくないために、その全容をはっきりとまとめることはほぼ不可能と言われていますが、できる限りのことをこのホームページにまとめていきたいと思います。また、当ホームページに掲載している内容につきましては、歴史上明らかにされていないがゆえに不確定な要素も含んでいます。明らかな間違いがございましたらご一報いただけましたら速やかに訂正いたしますので、よろしくお願いします。
阿部仲麻呂は、真備が最初に遣唐留学生として唐に渡った時に、真備と
同じく唐に渡ったのですが、唐の地で勉強にいそしみ、難関で有名に
科挙の試験に合格、唐の役人になったのでした。
彼らが渡って18年間経ったのち、つまり、真備らが帰国する際に阿倍仲麻呂
も当然帰国を希望しましたが、その時すでに仲麻呂は唐の役人です。
唐政府の許可が出ずに、阿倍仲麻呂は一人唐の地に残ることになったのです。
ところが、真備が再び唐に来た際、再び唐政府に阿倍仲麻呂が帰国を願い出ると、今度は唐政府も仲麻呂の帰国を許してくれました。
時は753年。阿倍仲麻呂や吉備真備が最初に唐に渡航した717年から数えて36年もの歳月が流れていました。
阿倍仲麻呂の喜びはたいそうなものだったと推察できます。また、彼はかの有名な詩人、李白や王維とも進行があったということで、王維は安倍仲麻呂が帰国するというので、『秘書晁監の日本国へ還る』という別離の詩を読んでいます。
が、悲劇が阿倍仲麻呂を襲います。
なんと、安倍仲麻呂らが乗った船は途中で遭難し、ベトナムに漂着、陸路で再び唐に戻ることになってしまったのです。
長安に無事到着した仲麻呂は帰国を断念、結局その後日本の地を踏むことがかなわぬまま、72歳の生涯を閉じました。