歴史上でたった二人のみ

吉備真備は、実は、長い日本の歴史の中でも、
たった二人しかなしえなかった記録をもっています。
それは、

「学者でありながら政治の中枢である右大臣にまで上り詰めた」

ということです。

これは、実は吉備真備と菅原道真のたった二人しかなしえなかった偉業なのです。

が、北野天満宮や各地の天神様の例を出すまでもなく、後世の扱いは菅原道真の方が圧倒的に高評価です。

どちらも天才の名を欲しいままにし、中央政界においてトップクラスの職位を得て出世した点は同じですが、道真が政治改革を身を呈して行い、最終的にはそれが原因で太宰府に左遷されてそこで生涯を閉じてしまっているのに対し、真備の場合、右大臣という要職にあった当時に、道鏡の傍若無人ぶりに対して何の手も打ってなかったとされる点で大きく評価を下げてしまっているようです。
道鏡の台頭とともに真備もトントン拍子に出世していきますので、温厚な性格とされる真備からしてみたら、道鏡との関係上言いにくかったのかもしれません。
しかし、一方で、危険度の高い唐への渡航を2度も成し遂げたり、唐で延べ19年もの長きにわたって生活したりした真備の多彩な経験を上に評価する向きもあります。

ちなみに、真備の立身出世に多大な影響を与えたと思われる"遣唐使"の制度(?)は、菅原道真によって廃止となります。


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